お風呂で考えごとするのは水に流したいからか

溺れたいからか。

 

10代の頃かな。

すきな人はもちろんいたけどきらいな人がいなかった。

同性異性年齢云々関係無く。

 

高校生にあがる少し前くらいにふと思った。

きらいになるほどその子と関わってないもんね。

きらいになる前にその子と関わるのやめればいいんだ。

不器用を誤魔化すには怠惰で突き進むことが必要になるときもある。

 

突き詰めると中学校時代の生活がだいぶ響いてる気もするし、

生まれる前からいっしょにいた姉の存在も大きい気もするし、

もしくはどちらも全然関係なくてただのこじつけっぽい気もするけど。

 

 

 

そう思うと30代になった今、いっそのこときらいになれたらよかったな。のきもちをちょっと知った。

でもたぶんこの先もずっときらいになることはできないんだろうな。

そうやってこれからの自分の甘さを呪っていくし、そんな自分をきらいになんてなれないんだ。

オケージョンにあった服がわからなくなる三十一歳。

 

あっという間に春休み終了の予感。

今日は先生たちとの打ち合わせ。

新しいクラス編成

入れ替わった担任の先生

一学期のイベントうんぬん

その他諸々の説明。

 

 

いやあ〜ぼけぼけした頭ではついていくのがやっとというか。

五時頃帰ってきてそっから洗濯物取り込んだりお風呂洗ったり夕飯作ったり。

 

マジで、眠い。

途中お腹が空いておやつを食べちゃったからかな〜。

 

なんて言っててもやらなきゃいけないことはたくさんあるわけで。

でも後回しにしても大丈夫なこともちょいちょいあるからあれができなかったこれができなかったで落ち込むのはやめよう。自分をダメな人間と思うのもやめよう。

もう何万回言い聞かせたかわからないけど、わかるまでひたすら言おう。

 

今日ふと“身内以外のおとなと話せるのがうれしい”ということばが洩れた。

他愛のないことしか話してないけど、それなりに身なりを整えて、他人に会いにいくというのはちょっとは必要なことだよな〜と思った。

まあ来週からはジャージばかりの毎日だと思うけど。

もう暑いね。脇汗を乾かすためにTのポーズをしていたよ。

 

今年度もよろしくお願いします。

めちゃくちゃ滑るし空回るけど、きっと、きっと大丈夫。

 

やらなきゃいけないこと山積みで不安もあるけど。

きっと、きっと大丈夫。

 

なんだかんだやれるさ〜。やれなかったらまた考えればいいさ〜。

 

常に先読みしていたい性格ももう少しまろやかになればいいな。

 

お酒〜?のんじゃうか。

見方が変わると味方がかわる

 

先月実家に泊まっているときに、重度障害児が(重度障害児の)eスポーツ大会に参加する番組を見た。

ムスメも寝た夜8時過ぎ。テキトーにチャンネルをまわしたら、やってたから。なんとなく。

(水曜日夜8時ってもしかしてテレビつまらない?)

 


別に障害児がどうとかってだけじゃなく単純に視線で戦うシステムに感動した。すげー!

そりゃどっかのえらい人が視線で文字を追って機械から言葉(声)を出すとかそういうのも見たことあるけどさ、なんかゲームってだけでポップじゃん?

画面に映し出されるのが3色くらいの世界じゃなくて、カラフルでぐにゃぐにゃの線があったりしてさ。

おっととごめんよ勝手に盛り上がって。

それでさ、まあおもしろいなすごいなゲームをやってる子たち目がキラキラしてるな。たのしい?やったね!そばにいる家族の人も笑顔だな。にこにこってしてたらふと近くにいた母が、

「めぐたち昔はこういうの全然見られなかったのにねえ。かわったねえ。」

と言った。

わかる。たぶん、中学生頃のことを言っていたんだと思う。無意識下の差別みたいなのが働いていたんだろうな。差別感情、か。

今はゼロかと言われたらそんなことはないけれど。

大きくなるほどにかわいそうという言葉が上目線で無責任な気がしてきたし、かといってそれに代わる言葉を見つけられないことも多い。

(それにかわいそうを他意なく純粋にそう言える人もいるしそれはとてもすごいことだと思う。)

また脱線したね。

 


みんなちがってみんないいってわりと小さい頃から学ぶはずなのに、実際はそうじゃないことの方が多い、ことを知って。今。

みんなちがってみんないいをもう少しポジティブにどんどんアウトプットしていければいいなと思う。

こどもたちがのびのび過ごせますように。

なんだこりゃ。

人との関わりがへたくそになりすぎてるのでライトに飲みに出かけられる世界カモン頼む!

真面目な話もしたいけどドラクエの新作wktkとかストリートファイター展で張り切るにいちゃんの話とか、シーズン2で止まってた進撃の巨人を追っかけてエルヴィンアルミンエルヴィンアルミンうわ〜んてなったり最推しが死んで落ち込んでる話とか、笑ゥせぇるすまん(アニメ)の喪黒福造の名刺47話までは“ココロのスキマ、お埋めします”だけど48話のspから“ココロのスキマ♡…”になってる話とかもしたい〜。

よろしくお願いします。

 

 

 

 

キラキラの汗とやさしいことば

 

 

四月の中旬、私が髪の毛をボブからショートにバッサリ切ったとき「男みたいだね。」と言ってくる子が多かった。

かっこいいと言ってくれる子もいたし、髪を切ったことにすら気づかない子もいた。

 

 

 

あるひとりの児童だけ「かわいいね」と言ってくれた。

 

実はこの子、いちばん最初に私が髪の毛を切ったことに気づいた(指摘した)児童。

 

気付いてくれたことがまずうれしかった。

そしてかけてくれた言葉のチョイスがキュートだなあと思った。

 

 

「褒めたら相手がよろこんだ」という経験がどう作用するのかわからないけれど、少なくとも私はうれしかったのでそれをわかりやすく表現した。

 

 

 

夏休みが明けて久しぶりにこどもたちに会った。

 

始業式やら何やらでこどもたちと過ごす時間は短かったけど、さっきの子が帰り際に言った。

 

「先生、髪切った?かわいい!」

 

 

あれ、切ってないけどなあ。むしろ伸びた。

でも久しぶりに会ったから何か変化して見えたのかな。

 

 

それでもうれしかった。

 

彼は髪を切った私に「かわいい」と言ったら喜んでくれた。という記憶があったのかも知れない。

 

私の顔を見てそれを思い出したのかも知れない。

 

もしかしたら、私の知らない彼のひみつの合言葉なのかもしれない。

 

 

 

「そうだよ。ありがとう。また月曜日ね。」

 

 

そう言ってさようならをした。

 

やさしい嘘をついたなあと思った。

 

 

 

二学期もがんばります!

 

 

 

ピアノ習いたいな〜と漠然と思った三十歳

清塚信也さんのアルバムKIYOZUKA(2016)とCharge Up(2012)にあの菊次郎の夏のSummerが入ってるんだけど、同じ曲なのに全然ちがうすごい。

KIYOZUKAに入ってるSummerは前の曲が春よ、来いだからかなあ〜季節のうつりかわりを感じる出だしでいい。

小学生みたいな感想だけど。

なんだか久しぶりにとっても感動した。

 

昨日夜7時頃にスーパーに行った。

帰り道に感じたむわっと湿った空気と家族連れが笑いながら歩いてるのを見て、小学生の頃近所の公園でやる小さな夏祭りのことを思い出した。

普段より遅くまで遊べてうれしかったり、なかなか暗くならない空が妙に怖かったり、帰り道にぎやかな声がどんどん遠くなっていくのがさみしかったり、でもどこか家に帰れる安堵感があったり、湿った空気の不快感もぜんぶひっくるめて【まつり】だった。

 

それがいっきによみがえった。

とてつもなくさみしくなった。胸がギュッと握りつぶされた。

 

 

枯葉が落ちてクリスマスがきてまた春がきた。

 

 

清塚信也さん、かっこいいな〜。

 

 

四季を感じてめいっぱい遊びたいね。

 

まとめようとすればするほど

枝毛みたいに余計な新しいかわいい言葉がぽんぽん浮かんで、枝なのか毛なのか、実なのか。

 

 

 

夏休み、暇だな。と言いつつも特別暇だったわけじゃない。

朝のお弁当づくりはあるしご飯作りも洗濯掃除も毎日ある。

娘と遊ぶ時間もあるし、一週間姪っ子を預かり面倒もみた。

お盆だといって親戚はくるし、

先週は義母が転んで折るわ縫うわの怪我をして様子を見つつ知人の家の床を直す仕事もしている。

明日は仕事の研修がちょこっとあり、明々後日には娘の幼稚園が始まる。そして金曜日から仕事再開。

 

 

前後一週間くらいがまあまあハードだな。

 

暇だなとついつい思ってしまうのは自分のすきなものことで、時間を埋められないからかもね。

 

 

先生夏休み中ゲーム何本クリアするの?の問いに、みっつはやっつけたい!と意気揚々とこたえたものの結果はひとつです。

ゲームはさ、まとまった時間でガッとやりたいよね。

 

合間でフジロックをみた。タイミングが悪く毎回チェーンソーの音が外から聞こえてきてチッと思ったけど、これがこのまちの野外フェススタイルだったのかもしれない。

 

 

夏休み中何かしたいなと漠然と考えて、お尻を鍛えるというミッションを課した。

ぷりぷりのおしり。

途中三日間くらい何もしない日があったが一ヶ月は続いたな。まだ続けてる。お尻はぷりっぷりにはなってないがぷよぷよが少し改善された気もする。

もう少し続けてみる。

 

行きたいけど行かない海や川、着たいけど着ない水着、来年は着られてたらいいなという淡い期待で鍛えるお尻。

 

娘には退屈な日々をごめんよ…と思っているが、幸いなことにまだテーマパーク的な、アトラクション的なサムシングはがっつり体験してないので、5歳になったら行けるかなあなどとテキトーに誤魔化して過ごしている。本人自身も行きたいと喚く方じゃないから助かってます。

誰に似たのかひらがなドリルやかず遊びの本を買って読み書きをしてたのしんでるのが奇跡だと思う。えらい。学びには貪欲であれ。でも別にいっぱい遊んで書き方忘れちゃってもいいからね。のびのび過ごしておくれ。

 

 

「青森に行きたかったね。」とふと言うのは私の母の口癖(?)なのだけど、娘もニュースで新幹線がうつると「あおもりにいきたいね。」と言ってくる。かわいい。きづかい?

でも一緒に行ったもんね、青森。また行きたいね。

 

 

 

行けないではなく行かないとかいたのも厳密に言えば行けない訳ではないからだけど、大人のこの価値観の違いはこどもにがっつりうつるよなあと考えてしまう。

だからと言ってめちゃくちゃ気難しく考えてるわけでもないけれど。

 

あとで堂々とたのしく目一杯遊べる日がきっとくるからね。死なないでね。

 

そう言いながらすっかり会えなくなってしまった(電車に乗って40分でも)遠方のともだちに、自分の、ともだちに、会えないことを思って少しさみしくてこっそり泣くときもあるけど。

 

生きてれば会えるからね。だから元気でいてね。

 

 

 

 

 

 

誰も見てないこの日記に、念を込めて愛を込めて。きみに、会いたい。

 

 

うーわんわんアゼルバイジャン🇦🇿

 

 

 

2020ねん8がつ10にち

長かった梅雨があけて圧倒的な暑さと蝉の鳴き声に感じざるを得ない夏、夏、夏ー。

 


炎天下でビールを飲むのは命懸け。と同時に生きていることの実感。

 

 

 

どこかの国での爆発事故に、どことなく過るかなしい記憶。

 


忘れてはいけないとちいさな頃から言われて勉強しておとなになった今はきちんと理解できているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

誰かを悪者にして謝らせることが勝利なのか。和解なのか。そこから平和が見出せるのか。

 

 

 

(原爆づくりに関わったアメリカ人科学者が日本人被爆者と行った対談で、

アメリカにはこんな言葉がある。【パールハーバーを忘れるな。】」

って言っていた。

その前には「私は謝罪はしない。謝るのはそちらの方だ。」とも言ってるんだけど謝罪云々は超えてる世界だよ。と思った。)

 

 

 

 


考えても考えてもこたえは出ないけど、それでも毎年何かをおもうこの季節。

 

 

 

 

 

 

あいての立場になって考えること。

 

 

 

 


何歳になっても問われるのに、実生活でうまくソレを行動にできているのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

保健体育の教科書にちいさく載せられたコンドームのつけかたは誰のためのもの?

 


望まない妊娠はおんなのこへの性教育が不十分だから?

 

 

 

露出の多い服を着た子が悪くて理性を抑えられなかった方はしょうがないで済むの?

 

 

 

思うことがありすぎていちいち発言するのもな〜と思ったけど、きもちのメモとして。

 

 

 

 


どうか愛のある判断を。

 

 

 

 

 

 

そうね、相手の立場になって。